日の記録 すごくてきとうな文
退院して安静に安静にってまわりに言われまくってたら出かけたいとかあれしたいこれしたいってうずうずしてしかたない。
けど通院ビンボーだ
夏至が過ぎていたのだ。
職場に来る業者のおじさんが「夏至なのに太陽なかったっす」って言ってた。
このおじさんはいつも自虐的だし、地球が滅びればいいのにとかつぶやいたりするからそうゆうとかむずむずするけどちょっと気にいってる。
雨雲で太陽は出てこないから、強く主張することなくいちばん日の出ているらしい日が過ぎた。
これから冬至まで毎日日が短くなっていきます
まだまだ信じられないような季節だけど
昨日の夕方、空に金色の星がひとつ光ってたからなんだろうなんだろう、金星かなって思ったら、さそり座の一部の星らしいと分かって嬉しかった
さて、本題に入りますけど
わたしはおじさんというか、オヤジというか、なんだかある一定のオヤジというものに嫌だなあと思う気持ちがあって、それは気持ち悪さというよりは「怖さ」のようなものである。
アラウンド50歳位の歳の男性ので、身長や体格というのではなく、眼光やもつ雰囲気が醸し出すなにかによるものだと思ってるのだけど。
自分の中にある「イヤ」に引っかかってその感情に陥るのか、おじさんがそうゆうものを放ってるのかわからないし(うーんうまくいえない)
おじさんというのは「老若男女」という言葉でいうと対極の存在だと思う。
老いた男だ
おじいさんまで行くとこわくなくなるのは、人間はかなり年をとると無性別に近づくからなのでは?とか思ったりする。(生まれた時も無性別に近いイメージ)
全部想像だけど
まだ行ってないけど、都築響一さんの『神は局部に宿る』がきになる理由は、まず都築さんのビジュアルがわたしの中でこわくて、引っかかって、なのに面白いこととかいってて、自分の中でごっちゃになってて、興味がある。
そうゆう、おじさんが考えてる表現みたいなもんを目にしたいと思ったから。
そして多分おじさんが強いことと性みたいなことは関連していて、自分の中で分かりそうでわからない。
性についての不思議はあいかわらず思っていて、それはしくみとか文化とかそうゆう外側みたいなことじゃなくて、自分のとらえ方とか当てはめ方の問題?なきがしてる。よくわからない。
性というものはわたしたちにものすごく近いもの、近いというか、密接しているものだから、ひとりひとりほんと解釈が違って、そのくせ人との関わりだったりするから、複雑だ。
なにが言いたいかいつものごとくわからなくなってきちゃったけど、おじさんのことはここ数年思っていることだから気になる。これからも気になりつづけると思う
あした行きたかったライブに行けなくなってしまったのはとてもざんねんだ。
久しぶりにカレーとか作ったりしたいなと思った
あさっては気分がよかったら『神は局部に宿る』を見に行きたいと思う。よくなかったらべつのをみにいく